ステンドグラスの歴史

ステンドグラスの世界史

 ステンドグラスは、9世紀ヨーロッパで生まれ、キリスト教の教会の窓を飾る教会美術として始まりました。ステンドグラスといえば教会といったイメージがありますが、ステンドグラスとキリスト教には深い結びつきがありました。教会では、聖書のストーリーなどを分かりやすく伝えるために、積極的に用いられました。また、昔のステンドグラスの職人には囚人が多く、更正のために聖書のストーリーのステンドグラスを作らせたと考えられています。この頃に技術はより磨きを増し、ステンドグラスの技法はほぼ完成されたとされてます。

 11世紀からは、ステンドグラスの黄金期とも言える時代で、現在では世界遺産にもなっているものもあるほど、様々なステンドグラスが作られました。

 12世紀に入ると建築技術が発展し、より高い窓の大きい教会や大聖堂の実現が可能となりました。鉛やガラス産業の発展も飛躍したことから、ステンドグラスも発展しました。

 12世紀中頃になると、ヨーロッパ中に大聖堂や修道院の建築ラッシュが始まりました。これがゴシック建築の始まりです。ステンドグラスの絵付け技術も高度になり、書物にあるような神や聖人をイメージとしてガラスで表現することができるようになりました。12世紀のステンドグラスの代表作としては、フランスのルマンの大聖堂等で見ることができます。

 13世紀のステンドグラスでは、『シャルトルブルー』で有名な、シャルトルのノートルダム大聖堂のステンドグラスがあります。12世紀のものに比べると、デザインが繊細で、装飾的なのが特徴です。この頃には、今も使われている技法、ジョンダルジョン(シルバーステイン)が登場します。銀でできたステンドグラスの絵付け顔料の一種で、黄色からオレンジ色を出すことができます。黄色は、光を通すと黄金色に輝きます。

 ルネサンス時代には、新しい顔料、エマイユ(エナメル)サンギーヌが生まれ、更にステンドグラスを活気付けました。エマイユは、赤、青、黄色など色々な色がありますが、色を付け足したい部分に、自由に色を入れることができるため、絵をガラスのカット線で細かくカットすることなく、大きな1ピースの中に色々な色づけをすることができます。また、サンギーヌは、赤茶やオークル色で人物の肌色などに使われ、よりリアルなイメージを表現することができるようになりました。

 15世紀に入ると、ゴシック建築が更に発展します。教会や大聖堂の窓は、フランボワイヤン様式と言われ、より複雑にデザインされるようになりました。そして15世紀後半には、2層になったガラス(フラッシュガラス)にエッチングを施す技法が生まれました。

 17世紀以降、今まで賛美されていた中世の美術を軽視するような動きが見られ、幾何学的な模様のステンドグラスが流行り始めました。この時代に中世のステンドグラスがたくさん破棄され、テクニックも衰えたといわれています。

 19世紀になると、ステンドグラスの材料になるガラスの質が向上したことや、様々な画家とその技法が確立したこと、ステンドグラスに多用な方向性が見え始めたことなどから、ステンドグラスが力を取り戻し始めました。

 19世紀後半には、古いステンドグラスの修復も活発になり、新たな技法が開発されました。世界で有名な宝石商、ティファニーの長男が作り出したと言われるティファニーテクニックです。今まで平面でしか表現されなかったステンドグラスを、立体造形に変え、しかも鉛テープではんだ付けするという技法です。その技法は、更に細かい表現を可能とし、ランプやパネル式アートなど様々な作品を作り出しました。 この技法には、二つの特徴があります。一つには、色ガラスを組み合わせ、ステンドグラス本来の透過光を楽しむために、立ち返ったものであるということ。もう一つには、ランプなどに使用することによって、太陽光ではない、人工的な光で透過光を楽しむことが出来るようになったことです。

 1900年頃からは、ステンドグラスが個人住宅などの建築物にも登場しました。住宅以外にも、公共建築物や産業建築物にも取り入れられ、階段の吹き抜けや、看板、ドーム、天井などにステンドグラスが取り付けられました。第1次世界大戦時には、一時生産がストップしましたが、1920年頃からは急速に復活しました。

 20世紀になると大量生産・画一的な商品に物足りなくなった人々が、手作りの商品を求めるようになりました。ステンドグラスは、その芸術性と工業性が認められ、復権を果たしたのです。

ステンドグラスの日本史

 日本に初めてステンドグラスが導入されたのは、19世紀、明治の文明開化の頃だと言われています。この時に長崎の天主堂にフランスから寄贈された「十字架のキリスト」の像が始まりとする説と、オランダの美術家が横浜に赤レンガ造りの建物を建てた際に、一緒に持ち込んだという説の二説があります。 この当時は、明治政府も外国からさまざまな技術者・文化人を積極的に招き入れていました。世界的にステンドグラスが見直されていた時期と重なったことから、招待された外国人たちは一緒にたくさんのステンドグラスを持ち込みました。 明治時代は、西洋の技術を次々と導入していった時期。ステンドグラスも輸入品に頼らず、日本人の手で作ろうとする動きが現れました。 純日本製ステンドグラスが完成したのは1889年のこと。ドイツに留学していた宇野澤辰雄さん(代表作 国会議事堂のステンドグラス」が、帰国後にドイツ式のステンドグラスを制作しました。次いで1年後、小川三知さんがアメリカ式のステンドグラスを発表しました。  日本で天主堂とは教会のことですが、世界を見ても、ステンドグラスを使用している建物といえば教会が思い浮かびます。教会がステンドグラスを好んだのは、建築様式からだといわれています。 中世ヨーロッパに立てられた教会は天窓を含め、数多くの窓を使用していました。窓は貴重なデザインの一つであったために、華麗なステンドグラスが使用されたとされています。 それから、色とりどりのステンドグラスと、その透過光によって教会が厳かな雰囲気をかもち出すことが出来たこと。絵付け式ステンドグラスが流行していた時代、モチーフに選ばれるのは教会関係のものが多かったこと、字が読めない人に、聖書の一部を図案化して見せていたという側面もあり、教会で発達してきたと考えられています。

 第一次世界大戦後、戦後景気による隆盛期が昭和の初めまで続きますが、第二次世界大戦を境に、ガラスの輸入が出来なくなり次第に忘れられていきました。

 戦後になると輸入も自由になり、需要も増え、建築の分野・環境デザインにおいて、見直されてきました。

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